【サービス付高齢者向住宅・初任者研修】介護員は体力勝負。腰を痛め、体がボロボロになった私。トップにいじめられ退職者が続出した話。

【サービス付高齢者向住宅・初任者研修】介護員は体力勝負。腰を痛め、体がボロボロになった私。トップにいじめられ退職者が続出した話。

【性別】女性
【年齢】(仕事が大変だった当時)
25歳

【当時の職業】
初任者研修を取得し、サービス付高齢者向住宅で働いていました。

【当時の住まい】
実家の一軒家で親と同居。
早番・遅番・夜勤もありました。
食事は親が作ってくれていました。

【その仕事はまだ続けてる?もう辞めた?】
今は退職し無職





【就職のきっかけと経緯】
元々福祉の仕事をしたいと思って社会福祉士を取得しましたが、当時求人がほとんどなく初任者研修を取得し介護員として勤務を開始しました。
ハローワークで求人を見つけました。

【環境と仕事内容】
入浴・排泄・食事介助など身体介助やお部屋のお掃除など生活援助全般を担っていました。
独身だったこともあり、日勤・夜勤、土日関係なくシフトが入っていました。
職員は7人くらいの介護員で働いていました。
休日は週休2日あったのですが、休日でも勉強会や会議が入り、それは無給でした。
その当時は何も疑問に思っていませんでしたが、今考えるとよく行っていたなと思います。
給料は月14万円くらい。
実家に暮らしているので生活費で困ることは特になかったです。
夜勤の方が手当てが当たるので、夜勤を希望していることもありました。

【大変だった時期】
まだ施設ができて日も浅かったので入居者も少なく職員も足りていましたが、3ヶ月を過ぎた頃から徐々に入居者が増え満床に。
しかし、職員の数は増えないので仕事量が増すばかりでした。




【大変だったこと】
常に歩きっぱなし、立ちっぱなしで、お昼休憩も10分くらいしか取れないこともありました。
そのため腰が痛くなりベルトも購入しました。
ボーナスはなし。
当時はまだ若かったこともあって、ただ言われたことをやることに精一杯でそんなに疑問も持たずに仕事していたと思います。
特に大変だったのが、人がいないこと。
離職率が高いこと。
新しい人が入ってきても2日でいなくなった人もいました。
理由を聞くと、スプリンクラーなどの設備が整っていなかったり、宿泊所だったところを改装して施設にしていたため、死角になる部分ばかりで「恐ろしくて働けない」ということでした。
私も人間関係や体のことよりも職場環境が良くなかったと思っています。
詰め所も全く部屋を見渡せない場所にあったり、コールボタンの電波が届かない部屋もあったりして、入居者に何かあっても気づけないことが心配でした。

【大変だった期間】
約2年勤めたところで退職し、社会福祉士の仕事を始めました。




【当時の心境】
トップの人がしっかりしていなかった分、介護員同士の人間関係は良かったと思っています。
介護員同士で効率の良い方法を考えたり、誰が言わなくてもその時間になったら次々と自分で仕事を探してテキパキ動いたり。
定時で仕事を終わらせて夜勤者など次の人に引き継ごうという暗黙の了解ができていて、仕事を残したまま帰る人は誰もいなかったです。
ただ、やはり体が辛かったというはあります。
食事が不規則だったからかストレスからか、その仕事について10キロ程太ってしまったこともあり、体が重かったです。

【職場が大変だった原因】
介護という仕事自体が大変だったというのはもちろんあると思います。
職場の設備、トップの怠慢など大変だった原因は多いと思いますが、介護という人間を相手にする仕事である以上、多くを望むのも難しいのかなと思います。




【仕事で良かったこと】
利用者さんの楽しそうな笑顔や回復してきたときの表情に大分救われました。
利用者さんの立場になって考えると、よくわからない施設に入れられて、毎日座ってご飯食べてテレビを見るくらいしかすることがない。
お風呂も決められた時間に入れられて、トイレも職員を呼ばなければ行くことができない。
辛いことだと思い、私も心を痛めることがありました。
でも、その中でも笑ってくれる時や「ありがとう」と言ってくれる時があると嬉しかったです。




【特にひどかった最悪の出来事】
仲の良かった介護員の人が飲み会の席でトップと口論になり、その場で「辞めます」と言って、居酒屋を飛び出してしまったことです。
すぐに皆で追いかけて何時間もかけて説得しましたが結局退職してしまいました。
口論の内容としては、トップが現場の職員たちに「頑張りが足りない」という内容を言ったことで、その介護員が「頑張ってます」と言ってくれたことでした。
飲み会の席ではあったので私はトップの言葉を聞き流してましたが、その介護員は余程堪えてしまったようです。
その介護員はリーダー的な立場であった人なのでショックでした。
辞めた後はやはり負担が大きくなったことや私にとっても精神的な支えでもあったので、私も転職活動を開始しました。
また、他の介護員も私と同じ頃に転職先を見つけ辞めていきました。




【相談した人・助けてくれた人】
介護員同士でトップに対する愚痴を言うことはできました。
言葉よりも行動が非常にありがたかったと今では思います。
とにかく言わなくても、次から次へと気を利かせて仕事をしてくれる。
決して一人の負担が大きくなることはなく、役割分担がきちんとできていたと思います。

【改善のための行動】
介護員同士は「ああしよう、こうしよう」と効率の良い方法を見つけて提案していきましたが、朝、スーツを着て少しの時間事務所のみに滞在して帰っていくトップがそれを邪魔してきました。
現場の実情を何もわかっていない人から色々言われることは非常に辛かったです。




【現在の状況と心境の変化】
転職し、今はそこも退職して無職(フリーランス)となっています。
今思えば、あの環境でよく仕事していたなと思いますが、やはり介護員同士の人間関係が良かったからできていたことなのだと思っています。
逆にその後、楽な仕事になったため、介護員の大変さ、その割には給料が低いと言うことを実感しています。
介護員はフルタイムは大変ですが、週3日くらいであればまた働いてみたいとは思います。

【学んだこと】
共通の目標があれば介護員同士うまくやっていけること。
その後の職場は、ミーティングもなくパソコンに向かって何をやっているかわからない人が多かったのですが、メンタル面ではそちらの方が大変でした。



【当時の自分へのアドバイス】
もっと声を張り上げて、改善策を訴えれば良かった。
その後、トップも全員退職したようなので、ただ働いているのではなく自分が納得いかないことを訴えて職場改善に向けて努力していけば良かったと思います。
トップと現場との差があまりにも大きすぎて現場の大変さを訴えることができなかったことを後悔しています。
現場の人はこんなに頑張っていると言うことを伝えれば良かったです。