【生活相談員・社会福祉士】独裁者は実在した!自分の独断で職員や利用者さんを散々振り回したヤツに耐えた話

【生活相談員・社会福祉士】独裁者は実在した!自分の独断で職員や利用者さんを散々振り回したヤツに耐えた話

【性別】男性
【年齢】(仕事が大変だった当時)
35歳

【当時の職業】
生活相談員(社会福祉士、通所介護事業所)

【当時の住まい】
持ち家で、妻と保育園児の子ども2人で暮らしていました。

【その仕事はまだ続けてる?もう辞めた?】
転職して、違う業種で働いている





【就職のきっかけと経緯】
当時は大きい法人に所属しており、色んな部署・施設・事業所がある中での一部署で、私は単に人事異動でその事業所に着任することになりました。

【環境と仕事内容】
利用者さんのケアプランから個別援助計画書を作成することや、介護報酬請求業務、必要に応じて相談援助全般、送迎、レクリエーション、広報、地域支援活動などを担当していました。
職員体制は管理者1名・生活相談員1名(私)・介護職員が4名(パート)・看護職員4名(正職員1名・パート3名)・機能訓練指導員1名・調理員1名でした。
利用者さんは当たり前ながらですが色んな人がいており、1日利用定員は15名で、比較的ゆったりとした雰囲気ではありました。
日勤のみで、休日は日曜日が固定でそれ以外にシフトでもう1日休みでした。
給料は大きい法人だったので比較的高い方だったとは思います。

【大変だった時期】
大卒後に法人に就職し、ずっと児童・障がい福祉の部門で働いていましたが、いきなり高齢者福祉になり、おまけに強烈な上司がいたので着任当初から大変でした。




【大変だったこと】
たった一人の看護職員があらゆることを仕切ろうとしており、自分の思い通りにならないと職員だけでなく利用者さんにまで当たり散らすというありさまでした。
また、室内の環境(物の配置など)も頻繁に入れ替えて、ティッシュペーパーの箱一つを置く場所にまで目印を付けて非常に窮屈な思いをさせられました。
また、生活相談員でないのに個別援助計画書を勝手に作って私の名前を記載したり、調理員の献立に文句をつけて変更させたり、他職種の領域を散々荒らす割には、自分の看護業務や機能訓練業務などは放置していました。
よって、その人に関するクレームが非常に多く、利用者さんの中には「あの人が怖いから」という理由で利用を辞めてしまった人もいました。
管理者や法人の上司などが再三にわたって注意しても、自分の言動を正当化する言い訳ばかりしており、誰も手に負えない状態でした。

【大変だった期間】
1年後、その人は他部署に異動させられ、閑職に追い込まれた様子でした。




【当時の心境】
超が付くほど嫌でしたが、シフトでその人が休みのときは職員も利用者さんものびのびとしていたのでそのときだけが気持ちが安らいでいました。
また、私は介護報酬請求事務など事務仕事や、広報など法人本体の業務も兼任していたので、現場を抜けるときには気が楽でした。
しかし現場に入らざるを得ないときはむかつきと腹立たしさでいっぱいで、どれだけ何度もぶん殴ってやろうかと思うほどでした。

【職場が大変だった原因】
完全に、独裁していた看護職員が原因でした。
その看護職員がいなくなった途端、事業所の評判は上々になり、管理者の運営手腕と相まって非常に楽しい事業所になりました。




【仕事で良かったこと】
その看護職員がいないとき限定ですが、レクリエーションでは自分の特技(スポーツや音楽など)を活かすことができたのでそのときは楽しかったです。
また、車を運転するのが好きだったので、遠くから利用してくれている人の送迎では運転と会話が楽しかったことと、レクリエーションでドライブに行ったときなどは充実していたと思います。




【特にひどかった最悪の出来事】
これは下手すれば事業所指定取り消しになりかねない事案でしたが、私や、過去の生活相談員が作成した個別援助計画書の存在を把握せず、看護職員が勝手に作成した上に署名や捺印を勝手にしていたことが明るみになりました。
このときには法人の上層部や第三者委員会の人々など色んな人から事情を聞かれ、その対応でかなり神経を使いました。
結果的には私や他の職員の落ち度はなく、看護職員がやらかしたことにのみ責めがあるという結論になりましたが、看護職員も言い訳の中で私や他の職員を巻き込もうとしていたようで、上層部や第三者委員会の人々がそれをうのみにしてしまっていたら、更に大変なことになっていたと思います。
あのときに消耗したエネルギーは利用者さんのために使いたかったです。




【相談した人・助けてくれた人】
管理者と、複数の事業所を統括する課長に常に相談していました。
また、他部署の職員などにも愚痴をこぼすことも多かったです。
幸いだったのは、管理者も課長も私の働きぶりや、他の職員の活躍については常に認めてくれていて、「やりたいことを、やれるときにやって」と言ってくれたのは救いでした。

【改善のための行動】
私としては他部署、とりわけ元々専門にしていた児童・障がい福祉の方面に戻りたかったので、そこへの異動に有利な資格取得をするようにしました。
また、異動願などもきちんと書いて、ときには上層部にも直談判などをすることもありました。
一方で、目先のしんどさはやり過ごしようがなかったので、休日出勤をさせてもらって代休を取り、できるだけその看護職員に会わない日を増やすように努めました。




【現在の状況と心境の変化】
それから2年後に私も人事異動で、児童福祉の分野に戻ることができました。
そのときはとても充実して仕事をすることができました。
しかし法人の運営状況が良くなく児童分野の事業を段階的に廃止することが決定したので、その後に障害児通所支援事業所に転職しました。
さらにその後、やりたいことをやるために一旦は勤め人を退いて、自由性重視の時期を作ろうとして独立しました。

【学んだこと】
やはりチームワークの大切さを再認識することと、「無理解な人に理解させるより、理解ある人を頼る」という方法を取る方が得策であることを感じました。



【当時の自分へのアドバイス】
よくぞぶん殴らずに済んだ!と言いたいです。
実際、本当に手が出そうになるギリギリまで腹を立てたこともありましたが、よく耐えたと思います。
また、やりたいことをやるためには環境の変化が伴うから不安もあると思うけれど、無理をしないといけないような仕事をするくらいなら、無理なく働けるところを探せばあるものだと伝えたいと思います。